運転免許騒動記
免許取得への道 Part 22
2003年1月17日:初の路上試験、「受験仲間」誕生

 年齢差は父子以上? 凸凹コンビで路上試験に挑む。


受験日決定のてんまつ

 1月17日。震災から8年となる今日、 初めての本免技能試験を受けることになった。

 当初、指定された試験日は1月8日だったのだが、 年明けは1月8日を含めて平日の昼間に時間をとれる日がなかなかなく、 至近の休みが17日だったので、かなり遅くなるのを承知で、わざわざ17日を指定した。 17日は終日休みなので、早いほうがいいだろうと午前受験を選択。
 が、月末に確定版の勤務表が出てびっくり。 当初の予定はかなり変更され、17日は夜間作業明けということになってしまった。 夜間作業明けで午前受験というのは、不可能ではないが体力的にかなり厳しい。 しかもその後、 上司に「夜間作業明けだけどちょっと用事を足してきて」と頼まれたので、 受験は絶望的になった。 後日キャンセル待ちを利用するしかないなと思いつつ、1月17日を現場で迎えた。
 が、現場で作業中にちょっと考えた。 そういえば件の上司、私に頼み事をしたのに、昨日は何も言ってこなかった。 忘れているか別の人に頼んだかしたのだろう。 とすると、無理やり今日の午前に受験するのもありじゃないか、と。
 考えたすえ、がんばって午前中に受験することを決めた。


試験官の当たり外れ

 6時半に退社後、電車内でちょっと寝ながら二俣川へ。 横浜でうどんを食うなど、あまり急いだわけではないが、8時過ぎには着いた。
 受付は8時半からだが、実際には8時15分ぐらいから受付がスタート。 1000円の貸車券を買い(なぜ場内だと1100円で路上だと1000円なのかは謎だ)、 受付を済ませる。受験番号は4番。2人1組だから「後攻」だろう。
 待つことしばし、8時50分ごろに試験官がやってきた。 人数が多いので、今日は試験官3人で対応するという。 説明をしてくれた試験官、今まで試験場で見た中では一番まともそうで、実に親切。 いかに典型的な役所といっても、 十把一からげでその構成員を語るのはまちがいだと認識した。
 自分のコースが分からないまま、担当の試験官に呼ばれた。 こちらは対照的につっけんどんな応対で、 さっきの人が「寒いでしょうから暖房の利いたところで待っててください、 放送で呼ぶようにしますから」と言っていたのに対し、 今度の人は「車が正門を入ってきたらすぐさま発着場(=屋外)に出るように、 決して(試験官が)受験者を探し回るようなことがないように」だそうである。 そして試験に使う車のナンバーを教えられたのだが、 車のナンバーなんて遠くから見て判別できるわけがないので、 結局は発着場で前もって待っておくしかない。
 少々むっとしながら、屋外と屋内の緩衝地帯のようなところで待つ。 2人1組で、順当にいけば私は「折り返し地点から試験場に戻ってくる」 コースだが、前の人が試験場を出た直後に試験中止になるなどすれば順番が狂うので、 どのコースが当たるかは乗るまで分からない。
 40分か50分待っただろうか。そろそろだなと思って屋外で待っていたら、 車が帰ってきた。さて、試験開始である。 受験番号3番のご老人といっしょに乗り込む。


相方は戦前派

 車に乗り込み、まずは3番の人が運転開始。 生年月日を聞いてびっくり、戦前の生まれである。 しかも免許を取るのはこれが初めて(失効とか免許取消とか、 そういう事情ではない)。このチャレンジ精神には脱帽だが、 へたすると若葉マークと紅葉マークを同時につけることになったりして。
 この人、教習所にはきちんと通っていたようで、基本動作はしっかりできている。 恐いほど左寄りに走るし、オーバーなほどの目視確認もよくできている。 別に、上位何名が勝ち抜けというわけではないけれど、 こりゃ競争相手としては手ごわいかな、と一時は思った。
 が、緊張しているのか何なのか、走っているうちにだんだんボロが出てきた。 駐車車両が多いので、対向車線にはみ出す「車線変更」はしょっちゅうあるのだが、 右ウインカーをつけたままで左→右→左という一連の動作を終えてしまったり、 ウインカーなしで右側にはみ出して左側に戻るときだけウインカーを出したり、 目視確認が欠けたり。あまりに目立つので試験官が注意する始末。 さらに、「もう少し円滑な運転を」と注意を受けた直後に、 制限30km/hの道路で40km/hを出してしまい、 試験官に「スピード違反をしていいということではない」と言われていた。 即座に試験中止とならなかったのは意外だったが。
 コースの半分以降は自主経路なのだが、この人、 私とはちがう教習所に通っていたとみえて、設定したコースは私の予想とちがった。 「未知の道」に興味津々だったが、道は狭いわ坂道発進はあるわで、 あまり走りやすそうではなかった。 電柱が車道ぎりぎりまではみ出ているところもあったし。 私の思っていた道のほうがだいぶ走りやすい気がした。
 ともかく、中継ポイントで運転を交代。 3番の人はエンジンを切らずに車を降りたので、 そういうものなのかと一時は納得したが、これは減点対象で、 必ずエンジンを切ってから車を降りるべきであることがあとで判明。


集中力の限界

 ひさびさに運転席に座り、やや違和感を覚えながらも走り出す。 ここまで3番の人が運転してきたのはDコース、 ここから私が運転するのがEコースというのだが、 Eコースは最初がちょっと分かりにくい。 側道のようなところから左折でスタートするのだが、 無視していいはずの本線の信号が気になる。 たとえまちがっても、最初は慣らし走行だからいいような気はするけど。
 三ツ境駅へ向かう道をのんびり走っていく。走るうちに運転感覚が戻ってきて、 なかなか落ち着いた走行ができた。スムーズな運転とは言いがたいけどね。 特にミスもないまま、自主経路の開始地点までやってきた。
 と、ここで事件発生である。いったん道路のわきに停車して地図を見るのだが、 その際に左に寄せすぎて脱輪。あちゃー。 小、中、大のどれに分類されるかは微妙だが、 一転して「こりゃ合格は厳しいかな」という気分になった。
 それでも地図で経路を説明し、ふたたび走り出す。 今のミスは気にしないように、と思いながらもやっぱり気にしていたようで、 前方がよく見えていなかった。何もないなと思って走っていると、 いきなりブレーキを踏まれて、言われるまで理由が分からなかったのだが、 前方の横断歩道に人がいた。やれやれ。夜間作業明けで集中力が切れたか。
 これで完全にダメだということは分かったのだが、 さっき設定した自主経路を変えられ、近道(細いので自主経路では選びたくない) を選択させられたのはちょっとショックだった。 試験場まで戻ってきて、正門を入ったところで運転を交代。 3番の人はいちおう完走扱いで、方向変換ができるらしい。 うらやましい。横断歩道の一件がなければ、 合格こそしなかっただろうけど方向変換の体験はできたかもしれない。


方向変換を「見る」

 方向変換の場所まで場内を走り(ここは採点されない)、いざその場所へ。 見るとコースは奥行きが非常に狭く、かつ、本線車道に直接面している。 本線から方向変換コースに入れるときに位置をぴったり合わせないとダメなのだ。 こりゃ厳しいな。ただ、右折で入るので曲がる際の半径は比較的緩やかでよい。
 3番の人、さすがに車をコースに入れるまでは余裕だったが、 バックの前に少しハンドルを右に切って(そういう教えかたもあるのか; たしかに車の動きとしては、直角にバックするより若干でも鈍角にするほうが自然)、 動き出してみると左後ろがポールすれすれのところを通過。 で、そのすぐあと、車は止まってしまった。 あれ?と思ってご老人はアクセルを踏んだわけだが、 止まった時点で私と試験官は何事か分かっていた。縁石にぶつかっていたのだ。 そこを無理やり越えたので、脱輪(大)で試験中止。残念…。
 その後、発着場に戻って講評を聞く。 すると試験官、ここの方向変換コースの攻略法を教えてくれた。 縁石から車の左端を約50cm離し(目安として道路端の水切り部分が約25cm)、 前輪をコースの限界ぎりぎりまで進めたあとバックを始め、 動き出して一瞬おいたところでハンドルをいっぱいに切るとすっぽり入るという。 今度、方向変換に当たったらこの方法でやってみようと思う。
 あと、私の運転に関する講評としては、 車体感覚はいいけど細部がダメだそうである。気付かなかったが、 下川井インターのところで一瞬2つの車両通行帯にまたがって走っていたらしく、 これですでに20点減点だったのだとか。

 結局、私もご老人も不合格確定のまま試験終了。 がっかりするかと思ったら、私は意外に平気だった。 というよりむしろ晴れやかな気分だ。 次回に向けての課題は分かったし、方向変換の便法も期せずして知ることができた。 もともと一発で合格するとは思っていなかったし、まぁこんなものかなと。
 合格発表、というより試験日の発表を受けて帰る。 次の試験日は1月27日、旅行の予定が入ってはいるが仕事は休みなので、 旅行を1日後らせて、この日に試験を受けようと思う。


本日の支出

相鉄 ‥‥‥‥‥ 190
貸車券 ‥‥‥‥‥ 1000
相鉄 ‥‥‥‥‥ 190

Part 22 小計 1380
これまでの合計 190720


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最終更新: 2003年12月17日
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