「免許はとらない」と声高に叫んできたものの、 実はたいして強く思っていたわけじゃないのかもしれない、と気付く。 むしろそっちのほうがショックだったりして。
仕事で社用の車に乗るたび、必ずといっていいほど聞かれる。
「車、運転できるの?」
「できません。」
ここで「できません」と答えても、
それが「免許を持っていない」という意味でとらえられるまでには、
たいていもう1ステップを必要とする。
「免許ないの?」
おそらくここで、相手は「いや、持ってます(が、
ペーパードライバーなので運転する自信がありません)」という回答を期待している。
しかし、私は満を持して答える。
「ありません!」
自分のマイナーさに酔いしれる一瞬である。
ここから先の反応はさまざまで、「まぁ、なくても何とかなるかな」とか、
「取らないとあとで苦労する」とか言われるのだが、その場をしのげば平気である。
「取らないとあとで苦労する」とか何とか言ってるけど、
じゃあ実際に苦労したら取ってやるよ、と。
…来ました、苦労が。しかも意外に早く。
予防的措置としてわざと詳細を書かないことにしたが (ほんとうに興味のある人はもうあらかた事情を知ってるでしょ?)、 「苦労」の内容はおおかた以下のとおりである。
一般的には、会社側として非の打ちどころのない対応というべきであろう。
しかしその「模範的対応」が逆に私には苦痛だったので、
免許を取らざるを得ないと決断したのだった。我ながら変な理由だが。
もちろん、これをもって会社側が意図的に苦痛を与えてきたと言うつもりはない。
私の感受性がここまでねじ曲がっていることを予測するのは一般に不可能であろう。
…あぁ疲れた。あらためて自己嫌悪。
しかし、その後の対応は自分でも驚くほど早かった。
何せ、のろのろしていたらほんとうにタクシーで現場に行かされかねないのだ。
いつまでもグチをこぼして悩んでいると、苦痛の総和は大きくなる一方である。
…それを言うと学生時代に取っておくのが苦痛最小だったか?
いや、学生時代はとにかく遊ぶ時間を確保するのが至上命題だったから、
そのころ免許に時間を割くことは身を裂くようなものだった、
ということにしておこう。
というのはさておき、実は約半年前の時点で、
「どうしても取らざるを得ないときはこれ」というシナリオは用意してあった。「運転免許考」の最後にもちらっと書いてあるが、
「届出校」を利用することである。
前述の「宣告」を受けたのが10月2日か3日だったと思うが、
1週間後の10月9日に、私は足取りも重く自動車学校の門をたたいていた。