5500系の増備にともない、老朽化したジェットカー、 5261形の初期編成(6両)と5311形の一部(2両)が廃車されることになりました。 阪神電車では、今回廃車となる5261形6両をすべて連結して本線を走らせる、 というさよなら運転を1999年3月20日に行いました。
今回廃車となったのは、 5261形の6両(5261〜5264、5269、5270)と5311形の2両(5311、5312)です。
5261形は、5231形に続くジェットカーとして1967年から製造された車両です。
7編成14両が製造されましたが、
最後の2編成は足まわりを除いてまったくの別物といってもいい車両なので、
実質的には5編成10両です。このうち、震災で2編成4両が廃車となったため、
3編成6両が在籍していました。
車体はいわゆる「経済車」で、切妻、雨樋外付け、裾の丸みがないなど、
無骨な印象を受けます。
そして5311形は、5261形とほぼ同じ内容ながら、
単車走行が可能な車両として、1967年から製造された車両です。
4両が製造されました。
5311形はのちに、電機子チョッパ制御の試験車として、
三菱製のチョッパ制御器を搭載、回生ブレーキが使えるようになりました。
このため、同時期の登場ながら、
5261形よりも廃車優先度が若干低くなったものと思われます。
(編成からいくと、5261形4両、5311形4両の廃車が妥当だったところですが、
編成を組み替えてまで、5261形の廃車を6両にしたようです。)
車体は5261形と若干異なり、雨樋は内蔵となっています。このため、
5261形よりはすっきりした印象を受けます。また、
全車両が運転台の直上にパンタグラフを持っているのが外観上の特徴です。
廃車される8両のうち、 5261形の6両をすべて連結して本線上を走らせるという「さよなら運転」が、 1999年3月20日に行われました。ジェットカーは通常4両編成で走るので、 6両編成というのは非常に珍しいものでした。
当日は、抽選で選ばれた200名ほどが甲子園駅に集合、 5261形の特別列車で大石へ向かいました。その後、 同じ列車で尼崎センタープール前駅に折り返し、 高架下に保存されている古い車両を見学したあと、尼崎で解散となりました。
私はこのイベントには直接参加せず、列車を撮影するほうに専念しました。 同業者がかなり多いのでちょっとびっくりしました。あいにくの雨模様でしたが、 なんとか、6両で走るジェットカーを撮影することができました。