この文書は本来、世の中の現状について解説するために公開しているものであり、
常に現状に追随することが期待されます。
しかし実際には、最後の更新(ページ末尾に記載)から相当な年月が経過しており、
記載内容は現状に追随していません。
また、この文書を今後更新する予定はありません。
したがって、この文書は本来の目的を達成していません。
最終更新当時の世の中の様子を伝えるという、
本来とは異なる目的で公開を続けているものです。
以上の点を理解のうえ、お読みください。
9000系登場までの最新モデル、そして現在も主流の急行車が8000系。
その試作車が8201Fです。
この編成、車体こそ従来の路線を継承していますが、
制御器やブレーキなどは一新され、その後の量産車とほぼ同じもの(界磁チョッパ、
電気指令式ブレーキなど)になっています。
4M2Tの6連で、阪神初の6両固定編成としてデビューしました。梅田方3両は、
武庫川線延長開通時に住宅・都市整備公団が購入したという異色の経歴をもちます。
もっとも、これで玉つき捻出された車両が武庫川線に行ったというだけです。
前面には貫通扉がありますが、他車との連結は通常時には考えられないため、
非常口としての意味しか持ち合わせていません。
そのためにほろなどを最初から省略していて、よく言えばすっきりした、
悪く言えば「のっぺらぼー」な印象を受けます。これが外観上最大の特徴でしょう。
ちょっと待て、写真が8523Fになってるぞ?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。 そう、実は8201Fには思わぬできごとが…詳しくはこのあとの8523Fの項で。
試作車8201Fの成果を受け、
下回りをほぼ受け継いだ8000系の量産車が製造開始となりました。
が、完成したのは試作車とは似ても似つかぬ顔の車両。
今までの阪神のイメージをがらりと変えるそのデザインは、
以後の阪神の標準となります。
量産の開始された8000系の勢いは衰えを知らず、クーラーを新形式にする、 放送装置や戸閉め装置を改善するなどの細かな改善を重ねながら1991年に入ります。 量産車の製造初年が1985年ですから7年目ということになります。
この年の年度始めから運転を開始した8233Fは、
ちょっとちがった外観で人目を引きました。
まず、ぱっと見て分かるのが側面の窓。
1枚ずつ独立していたのを一体化、連窓としたのです。
窓の幅と高さを広げたため塗り分け線が少しだけ下がっていたり、
前面中央の窓にワイパーが設けられたりと、外観上の相違はそれなりにあります。
が、むしろ注目したいのは内装です。
関西では先駆的な試みとしてバケットシートを採用、
同時にモケットの色もピンクとし、明るい雰囲気となりました。
床材はツートンカラーとなり、ドアの上には LED
による案内表示器。内装のレベルが高い関西の通勤車の中でもことに秀逸な内装で、
最近の新造車両にもほぼ受け継がれています。
私がちょうど高校に入学した年に走り始めたこの編成、
学校に行くときの準急で初めて出会ったときには思わず小躍りしたものです。
ちなみに、8233F以降の編成を「新8000系」と呼ぶことがあります。
その後、この8233Fをベースに内装材の変更、車イススペースの設置、 プレート類のデザイン変更などの細かな改善を重ねながら、 ついに(量産車だけで)20編成に達しました。
この、8000系の天下に突如として震災がやってきました。
当日の昼ごろ、神戸上空のヘリコプターは、
たしかに横転した8000系の姿をとらえていました。
「震災の風景」としてしばしば引用される写真の中にも、
8000系が横倒しになった図があります。
阪神電車は全314両のうちの総勢41両が廃車となりましたが、
このうち8000系の廃車は以下のカッコ内の15両です。
8201 -(8001)-(8101)- 8102 - 8002 -(8202) (8201F) 8213 - 8013 -(8113)-(8114)-(8014)- 8214 (8213F) (8217)-(8017)- 8117 - 8118 - 8018 - 8218 (8217F) 8221 - 8021 - 8121 - 8122 - 8022 -(8222) (8221F) (8223)- 8023 - 8123 -(8124)-(8024)-(8224) (8223F) 8235 - 8035 - 8135 - 8136 -(8036)-(8236) (8235F)
実際には、使おうと思えば使えるものの、 前後の車両がダメなのでついでに捨てられた車両もあるとは思いますが、 6両すべてが廃車になった編成がないことは、 「使えるものは意地でも使う」という意識の表れでしょう。
さて、なんとか直しはしたものの、
この虫食い状態をどうするか。これは難題です。
詳細は略しますが、まず、以下の編成は組み替えだけで正常な状態に戻りました。
8213 - 8013 - 8117 - 8118 - 8018 - 8218 (8213F+8217F) 8221 - 8021 - 8121 - 8122 - 8022 - 8214 (8221F+8213F)
8213Fは旧仕様のクーラー、
8217・8221Fは新仕様のクーラーを搭載しているため、
この2編成は編成の途中でクーラーの種類が変わる「でこぼこ編成」となりました。
が、それ以外ではほとんど外観上の相違はなく、きれいな編成です。
そして、これで片づかなかった3編成については、
編成の一部を新しく製造する「代替新造」でどうにか6両編成を回復しました。
まず、8000系の試作車8201Fです。編成中3両が廃車になり、
3両が残ったのですが、1+2に分かれているため、そのままでは使えません。
そこで梅田方の先頭車だった8201を方向転換、元町方の先頭車にしました。
こうなると、阪神の付番法則からいって車番は偶数でなくてはなりません。
が、8202という番号はすでに亡きもともとの先頭車自体が使っていたため使えません。
そこで「8000系代替新造・改造車は+300」という法則が新たにでき、
この車両は8502を名乗ることになりました。
そして8223F。梅田方の中間2両だけが残ってしまいました。
これではどうやっても営業運転はできないため、
梅田方先頭車1両が新造されることになりました。
8223の部品を流用しつつ製作されたこの先頭車は、
前述の法則にしたがい8523を名乗ることになりました。
これで、梅田方が元8223F、元町方が元試作車8201Fという奇妙な編成、 8523Fが登場しました。
8523 - 8023 - 8123 - 8102 - 8002 - 8502 (8223F+8201F)
これはゲテモノです。どう考えてもゲテモノです。 何せ、編成の前後で顔が明らかにちがうのです(試作車と量産車を混ぜているんですから)。 しかも側面もちがう(試作車は2段窓、量産車は1段下降窓)、 屋根上もちがう(クーラーの形式が全くちがう)、 内装もちがう(試作車は寒色系の内装)。 一時期はでこぼこ編成が主流だっただけに、阪神史上最強とは言いませんが、 現在の阪神では文句なしに一番「変」な編成といえます。
…と、外見上の問題はありますが、何せ、 一度はもうだめかとだれもが思った8201F、あの顔が見事な復活を遂げたのです。 ひそかなファンも多かった(?)「のっぺらぼー」のてんまつは、 阪神ファンなら涙なしには語れません。
そして残るは8235F。適当な相手がいなかったせいか、
はたまた連窓の「編成美」を崩したくなかったからか、
失った2両を代替新造でまかなうことに決まりました。
連窓の廃車はこの編成の2両だけですから、
やむなしといったところでしょうか。
5500系2編成の新造などで武庫川車両が大わらわだったため、
登場はかなり遅れましたが、2両は帰ってきました。
8336、8536という番号をつけて。
8235 - 8035 - 8135 - 8136 - 8336 - 8536 (新8235F)
私が復活した姿に初めてふれたのは、1996年2月も終わりごろ、夕暮れの尼崎駅。 引上線には登場を今か今かと待っている9000系が2編成停車中。 そして甲子園までの回送列車として現れたのがこの編成。 真新しい2両を見て、3月の「阪神完全復活」を一足先に感じ取りました。
震災後にはインバータ制御の9000系、 セミクロスシートの9300系と画期的な急行形の新車が相次いで登場するいっぽう、 8000系は初期の車両が製造から15年以上を迎え、やはり多少の衰えは隠せません。
そこへ飛び込んできたのが、
「8000系をセミクロスシート化」という耳を疑うようなニュースでした。
しかも塗色は9300系と同じにするといいます。
「はにわっく・坂神」のネタではないかと思った人も多かったでしょう(?)。
しかし2002年4月、その車両はたしかに営業運転を開始していました。
単にシートを交換しただけかと思いきや、8000系の車体は9300系よりも厚いため、 9300系と同じシートを置くと通路幅が確保できず、 しかたなくクロスシート部の側窓を開かないようにして窓の落ち込むすき間を削り、 幅を確保したそうです(そのかわり妻窓が開くようになりました)。 また、ドアも9300系相当のものに交換されています。
こうして、波瀾万丈、さまざまなエピソードを作った8000系は、 9300系に最新の座を明け渡した今も、阪神の顔として幅広く活躍しています。 山陽への直通特急にも、阪神側からはこの8000系が多く充当され、 文字どおり「阪神の顔」として走っています。