ジェットカー
5500系を除く車両たち

阪神といえばジェットカー。加減速のよさはまさに「ジェット」。

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ジェットカーって?

 「ジェットカー」とは、阪神の普通列車専用車の愛称名です。
 その名の由来は、電車とは思えないほどの高加減速。 初代ジェットカーである旧5001形が登場したころ、 この車両に匹敵するほどの高性能の電車はほかになく(今も加速度だけはほぼ無敵)、 今までの電車をプロペラ機にたとえるなら、さしずめこの電車はジェット機だな、 ということで「ジェットカー」と呼ばれることになったとか、ならなかったとか。

 古くから普通用と急行用を区別して車両を運用していた阪神電車ですが、 大型化に際し、駅間の短い路線に適した普通列車用の新型車両を試作し、 その成果をもとに量産が開始されました。それが「ジェットカー」です。
 ジェットカー量産車の車内設備は急行用車両と共通ですが、 両者は車体の色で区別され(ジェットカーは青、 ほかは赤)、「ジェットカーは普通だけ、 普通はジェットカーだけ」という徹底した役割分担がなされています。 このように、車内設備にちがいがないのに、 列車種別によって走行性能の異なる車両を厳密に使い分けている例は、 他にほとんどありません。

 ジェットカーが誕生して約40年近くになります。十分なスペックで登場したため、 走行性能の顕著な向上は最近まで見られませんでしたが、1995年、 ジェットカーのニューフェイス5500系が登場。低速域での走行性能をほぼ維持しながら乗り心地を大幅に改善し、 加えて中・高速域の走行性能を大幅に向上した、これも画期的な車両です。


新5001形

5016(青木)5013F(青木 2001. 3. 12)

 ジェットカー試作車「アマガエル」、 初代量産車「ジェットシルバー」「ジェットブルー」が老朽化したため、 車体、モーター、台車などを一新、 次世代のジェットカーとして登場したのがこの5001形です。 「アマガエル」の車番が同じ5001形だったことから、 区別するため「新5001形」と呼ばれることがあります。
 ジェットカーとしては初めてFSミンデン式空気バネ台車を採用し、 モーターも従来の75kWから90kWにパワーアップ。 3連アルミサッシの側窓を持つ丸みのある車体は、 新8000系登場前の阪神車の決定版という印象です。
 登場当初は2両編成で、通常は4両、 利用の少ない時間帯には2両で本線を走っていましたが、 ダイヤ改正で2両の運用が消滅したことから、 1990年前後に4両固定編成に改造されました。 貫通ほろは撤去され、跡は縁取り状の金属で覆われています。 このとき方向幕も取り付けられました。
 昭和50年代前半の登場ですが、まだまだ使おうという気があるらしく、 1990年代後半になって更新工事が行われました。車イススペースの設置、 放送装置や冷房の改善、戸閉め装置の交換などが行われ、整備状況は良好です。 震災による廃車もなく、8編成32両が運転中。 5500系に次ぐジェットカーの一大勢力です。


5131形

5143(大物)5143F(大物 1999. 5)

 5131形は、最後まで阪神に残った非冷房のジェットカー5231形を淘汰すべく製造された形式です。 1981〜83年の製造で、14両が在籍します。「双子の兄弟」のような存在として5331形がいます。
 14両ということは、4両編成が3本できて2両が余ります。 この余った2両(5143F)は、 震災前は5331形(総勢10両)の余り2両と編成を組んでいたのですが、 震災により5331形に2両の廃車が出たことで相手を失い、 現在は車体形状の異なる5311形と「でこぼこ編成」を組んでいます。 写真はまさにこの編成のもので、後ろ2両は5311形です。 よく見ると後ろ2両には裾に丸みがないことが分かるでしょう。

実は「再生品」

 5131形はチョッパ制御器を装備しています。これは、今は亡き5151形で試験を行った東芝製のもので、 試験の成果が良好だったため、この形式で大々的に採用されたものです。
 が、逆に言うと、この形式で目新しいのは冷房、車体、制御器の3点だけ。 台車やモーターなどは淘汰した5231形からの流用です。 そのため、5131形より以前に製造された5001形で採用された空気バネ台車は採用されず、 モーターも75kWのままであるなど、素直に「新しい」といえない車両です。
 ただ、この車両にも5001形と同様の更新工事が施され、 5500系の増備も一段落したことから、当面は走り続けるものと思われます。


5311形

5311(西宮東口)5311F(西宮東口 1997.11. 4)

 5261形とほぼ同期、同内容ながら、 単車走行可能な車両として製造されたのがこの5311形。4両が製造されましたが、 1999年3月に2両が老朽化のため廃車となり、現在2両が在籍しています。
 この車両は昭和50年代に三菱製チョッパ制御器の試験車となり、 現在もチョッパ制御のまま走り続けています。

 チョッパ制御になったとはいえ、内装などのいたみはかなりのもので、 一時は形式消滅も時間の問題だと思われましたが、 現存する2両(5313F)は比較的新しい5131形5143Fと編成を組み、すっかり落ち着いてしまいました。 いよいよ維持が困難となれば5143Fを道連れに廃車となる可能性もありますが、 案外長く生き延びるかもしれません。
 ちなみに、5131形は方向幕を持っていますが、5311形は持っていません。 そのため、5313Fと組んだ5143Fの方向幕はつねに「普通」を表示したままで、 行き先は表示板で表示しています(5131形の項にある写真を参照)。

 5311形といえば、運転台の真上にあるパンタグラフが印象的です。 各車両1基ずつの大きなパンタグラフは、ジェットカー草創期の面影を今に伝えます。 特に、5311形のみの4両編成では壮観でした。


5331形

5340(芦屋)5335F(芦屋 2003. 8.13)

 5331形は、上記5311形の試験の成果を受け、5231形淘汰のために5131形と並行して作られた車両で、 制御器のメーカー以外は5131形とまったく共通です。 台車やモーターが流用品なのも同じ。
 5331形は10両が製造されましたが、震災で2両が廃車となりました。 これによって5331形の在籍数は8両、ちょうど2編成ぶんとなり、 震災前に存在した「5131形+5331形」というミックス編成はなくなりました。
 5001形や5131形と外見上は区別がつきにくく、 しかも2編成しか現存しない5331形は非常に地味な存在といえます。


 現存するジェットカーは以上ですが、 ここ数年で消滅してしまった形式を最後に2つ紹介します。


5261形

 7編成14両が製造されましたが、まず震災で2編成が廃車となり、 その後、老朽化のため1999年3月に3編成が同時に廃車、 最後まで残っていた2編成も2000年3月に廃車となったため、 形式が消滅しました。

前期5編成

5264(御影)5263F(御影 1999. 3)

 5261形の前期5編成はいわゆる「経済車」の車体で、雨樋外付け、 すそに丸みがないなど、かなり無骨な印象を受けました。
 が、一部車両には、 チョッパ制御の一里塚ともなった完全無接点制御器が搭載されており、 技術的には一定の成果が認められる車両でした。
 前期5編成のうち3編成は老朽廃車だったのですが、引退時にはふだん見られない6両編成で本線を走行、 ファンの熱い視線を浴びました。

後期2編成

5271(尼崎)5271F(尼崎 1997. 1)

 そして後期の2編成4両は、「経済車旋風」が一段落したころに生まれました。 新製時から冷房を装備し、同じく新製時から冷房付きだった7001形同様、 丸みを帯びた車体となりました。 下回りが同じなのでいちおう5261形という分類になっていますが、 見かけは前期5編成とまったくちがいます。
 この編成、 登場から(夏期)7期にわたって唯一の冷房つきジェットカーとして活躍したため、 運用をたずねる電話が殺到、 この編成を使った普通列車はほかより混んでいたそうです。

 5271Fを語る上で忘れてならないのは、1990年から1991年にかけて、 コバルトブルー一色のイベント塗装「ブルーノート」として活躍したという事実です。 ふつうの青胴車が巻いている落ち着いたマリンブルーとはひと味ちがう、 目の覚めるような鮮やかなブルーが印象的でした。
 これは阪神の経営する「大阪ブルーノート」の広告電車として登場したもので、 イベント列車「ジャズの夕べ号」として何度か走りましたが、 もっぱらふつうの電車に混じって一般の運用に入り、 見るものの目を楽しませてくれました。私にとっては、高校受験当日の帰り、 合格発表を見に行くとき、双方で乗り合わせた縁起のいい編成です。


5151形

5152(尼崎センタープール前〜武庫川)5151F(尼崎センタープール前〜武庫川 1994. 1)

 最後に、私が一番好きだったジェットカー、5151形です。

 震災の直前に生き残っていたジェットカーの中で、 最も古い車体だったのがこの5151形。 もともと1編成2両しか存在しませんでした。
 5151形は、5101形や5201形、そして試作車旧5001形など、 「ジェットカー草創期」の車両がまだ現役だった1964年、 5231形とほぼ同じスペックながら、 単車走行が可能な昇圧対応車としてデビューしました。
 その後、1980年に「実験台」として制御器などの改造を受け、 電機子チョッパ車として生まれ変わりました。 実験台に選ばれたのは、 もともと2両しか存在しないという特殊性を買われてのことだと思われますが、 これは結果的には幸運でした。 冷房化改造も受けたため、同期の5231形が廃車される中で生き残り、 近年に至っていました。

 5151形の魅力はやはり車体に尽きます。 窓に保護棒のついたそのいでたちは昭和30年代の阪神の雰囲気そのまま。 車内の造作も丸みを感じさせる独特のもので、 いわゆる「経済車」とは一線を画していました。

 5151Fは、1995年1月17日、三宮駅3番線で罹災し、あえなく廃車となりました。
 この5151Fをしのんで、友人の Koshishin さんイラストを描いてくれました。



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最終更新: 2003年12月 3日
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